05年
5月
〜
13日 |
北海道がんセンターに検査入院
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5月11日 入 院
10:30 Nrから検査内容、看護方針の説明を受
けた後に、下記の検査を実施。
以降は終日、行動制限なし。
検 査 体重測定、体温・血圧測定
心電図・呼吸機能検査
CCR・レントゲン撮影
食 事 制限なし
清 潔 入浴許可
安静度 制限なし
5月12日 入院2日目
7:00 検査開始
17:30 検査結果を待って泌尿器科外来受診
19:30 夕食後、面談室で泌尿器科Drから次の
説明を受ける
・治療条件はクリアーしたので「小線源
埋め込み手術」を6月1日に実施する
・手術は3時間から4時間に及ぶので、全
身麻酔が不可欠
・放射線障害の除去に勤めるが、可能性
は否定できない
・手術は妻の同意と立会が必要
検 査 血糖値測定・前立腺エコー
検査・骨シンチ・CT
食 事 制限なし
清 潔 入浴許可
安静度 制限なし
5月13日 退 院
13:30 放射線科外来受診、初めて担当医と会
う。Drの説明は次のとおり
・手術は日程変更が難しいので、体調の
保持に留意のこと
・ シード(線源)は70個埋め込む予定
・当日、手術に先立って、前立腺映像を
コンピュータに取り込んで線源配置を
決める
・会陰部からアプリケーターという針で
線源を挿入するが、危険性は少ない手
術である
・線源を体内に残すため、法令上の規制
があるので、日常生活上の注意は後日
説明する
14:30 予定より3時間遅れの退院
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入院時、一人で癌病棟に来るのは珍しいらしい。
DrやNrが頻りに家族の同伴がない理由を訪ねる。私の心情をおもんばかってのこと。
でも、経験済みの検査と手術の事前チェックだけですから心配いりません。
私のベッドは、6階西フロアー3人部屋の入り口側。
「検査入院の石川さんです。3日間、よろしくお願いします」 と、病室に響き渡るNrの元気な紹介で、この部屋の住人となる。
朝晩の挨拶の外に会話はなくとも、DrやNrとの受答えから、お互いの病状は手に取るようにわかるもの。
Nrの大声も、実は隣のAさんの耳が少々不自由なためだった。
やがて、入院中の唯一の楽しみである食事を、2人はほとんど手を付けないことに気づいた。抗癌剤の強烈な副作用によるものらしい。
とても切ない気持ちになる。
迷惑をかけないように努めるだけが、戦友に対して私のできる全て。 それが辛い。
一度だけAさんが話し掛けてくれた。
「前立腺から肺に転移しました。痛みを抑える治療を受けながら、お迎えを待っています。あと1年で平均年齢に到達するのですから、まずまずの人生と思っています。でも、若いひとは生きることに貪欲でなくてはね」と。
私はだまってうなずいた。
50代半ばであろう窓側のBさんも、目を臥せて聞いていた。
Bさんとは、ついに話す機会がないままに、私は必要な検査を終えて退院。
3週間後再入院の際に、さっそく二人の病室を訪ねたが、ベッドは2つとも別人の占用になっていた。
昨日、「午前中に退院できるよう指示しておく」とDrから説明されていたので、朝食後、平伏に着替えて放射線科外来で待つ。
正午近くになっても、呼び込みがなく、窓口で尋ねると「入院患者は病棟で待つように」とのこと。
病棟で問うと「放射線科外来が混んでいるので、最後の受診者となっています」との説明。
納得できず、婦長に尋ねると、ひたすら「ルールです」。「Drと患者の約束が無視されてよいのか」の問いにも返答なく「必要ならば昼食の用意します」などと取り付く島なし。
結果的に放射線科外来の「最後の受診者」になってしまった。
単なる連携ミスでも他科が係わると、患者よりも自分達の面子を重んじる悪しき体質と彼女達の驕りを垣間見た思いである。
マニュアルを少しでも外れると、馬脚を現すは「世の常」とあきらめることに。本当に許せない時に怒るのが大人だもの。
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5月30日
〜
6月 6日
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小線源埋め込み手術
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5月30日 入 院
11:00 入院手続
11:30 病棟Nrからオリエンテーション
「入院計画」、持参薬剤の管理、生活用
品等について
16:00 泌尿器科医3名が来室
手術の準備万端につき、体調に留意す
るよう指示
検 査 体重測定
食 事 制限なし
清 潔 入浴許可
安静度 制限なし
5月31日 手術前日
10:00 麻酔科担当医が来室、
麻酔の種類、手順等について説明あり
14:00 放射線科Nrからオリエンテーション
・手術後、翌日11:00まで放射線病棟個室で生
活する
・第三者への放射線被爆を防ぐため、治療中は
室外に出られない
・翌朝10:00まではベッド上で安静に
・飲水、夕食は手術3時間後
・Nrが全面的にサポートする
検 査 体重測定・血糖値測定
食 事 夕食以降禁止
清 潔 入浴許可
安静度 制限なし
6月1日 手術前
9:00 グリセリン浣腸
10:00 点滴開始
13:00 安定剤服用
13:15 手術用着に着替えるよう指示あり
「独房」での生活用品・心の準備完了
検 査 血糖値測定
食 事 朝・昼食禁止
9:00から飲水も禁止
清 潔 朝の洗面のみ許可
安静度 制限なし
6月1日 手 術
13:30 病棟詰所より連絡を受け、ストレッチ
ャーで手術室へ
14:00 麻酔開始
・麻酔用ベッドで硬膜外麻酔(痛みはない)
・手術用ベッドに移動、血圧、脈拍、心拍等を
監視のための測定器を腕に付着
・続いて全身麻酔
以降、手術終了まで意識なし
脊椎麻酔・硬膜外麻酔
どちらも脊髄中を通っている太い神経の束の周囲に麻酔薬を注入して、手術する部位から脳へ痛みが伝わらないようにする方法。
下半身や下肢の手術に使用される外、全身麻酔と併用されることもある。
硬膜外麻酔では、麻酔薬を入れるための細いチューブを脊髄の近くに残して、手術が終わったあとの痛みをとる。
全身麻酔
痛みを感じる脳の機能を抑える。
全身麻酔では意識はなくなり、手術中の記憶は残らない。多くの場合,自分で呼吸できなくなるので、口からチューブを入れて人工呼吸する。
麻酔薬には吸入麻酔薬と静脈麻酔薬がある。
17:00 手術終了、排尿用カテーテルをつけてス
トレッチやーで「独房」に向かう
6月1日 手術後
17:30 「独房」に入る
18:00 点滴開始
20:00 泌尿器科Dr診察(尿の性状・術後状態)
20:30 夕食(おにぎり)
21:00 導尿管刺激緩和のための鎮痛剤服用
検 査 入室時と食後に血糖値測定
体温・血圧測定3回
食 事 寝たまま自分で
清 潔 ベッド上でナースが行う
安静度 翌朝7:00まで寝たままの
生活
6月2日 手術翌日
入院以来、初めての心地よい目覚め。施術部位(会陰部)の痛さも熱発もない。
9:00 放射線科技師から留意事項の説明
・埋没した線源放射線は微量だが子供や妊婦
との接触は避けること
・線源が脱落の際は、スプーンで拾いビンに入
れて病院へ連絡のこと
・体調に変化があれば、先ず電話連絡すること
10:00 CTスキャン」・腹部レントゲン撮影
11:00 独房から泌尿器科病棟に車椅子で移動
11:30 導尿管を抜き、点滴開始
以後尿をガーゼで濾してカメに溜める
(尿の観察・脱落線源回収のため)
14:00 泌尿器科Dr回診
経過は順調、予定通り6日に退院
14:30 点滴終了
検 査 体温・血圧測定3回
食 事 制限なし
清 潔 シャワーだけ可
安静度 制限なし
6月3日 手術2日目
9:00 胸部レントゲン撮影
15:00 放射線科外来でDrから手術結果の説明
・線源73個埋め込んだうち3個が前立腺外に出て
しまった
・1個は肺にあるが2個は不明、但し問題を生じ
た例がなく、心配は無用
・治療カード(外国旅行には「証明書」)を1
年間携帯すること
・死亡時には連絡の義務がある
・7月1日に外来受診すること
検 査 体温・血圧測定3回
食 事 制限なし
1日1.5〜2Lの水分摂取
清 潔 入浴許可
安静度 制限なし
6月4日 手術3日目
早朝Dr回診で、腹圧をかけないこと、便秘に留意すること等の指示あり。
願い出て入浴許可をもらう。
検 査 尿速検査
体温・血圧測定3回
食 事 制限なし
1日1.5〜2Lの水分摂取
清 潔 制限なし
安静度 制限なし
6月5日 手術4日目
外出許可受けて、航空機の手配やショッピ
ング等、退院の準備はじめる。
検 査 体温・血圧測定3回
食 事 制限なし
1日1.5〜2Lの水分摂取
清 潔 制限なし
安静度 制限なし
6月6日 退 院
退院の前日までに、疑問や質問事項をメモしておき、このメモを巡回のNrに渡す。
必ずDrからの回答が届く。これは何回かの入院生活から得た知恵。
・服用中止していた薬の解除はいつからか
・脱落線源観察は退院後も行うのか
・放射線科は7月1日受診だが、泌尿器科と連携
できているか
・飲酒や刺激物の摂取量を具体的に知りたい 等々
8:30 外来の診療前にDrが来室
質問の各項目に詳しく回答してくれた
1カ月後、術後のチェックを行い、以降は3カ月毎にPSA値を測定、看視を続けるとのことであった。
9:30 お世話になった皆さんに挨拶して退院
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案内された私のベッドは、西フロアー2人部屋。
今度の戦友は40代のCさん。平服でイスに座っているので、深刻な状況はなさそう。
Cさんはしきりに何かをメモしている。
後で分かったのだが、日に何度も職場と連絡を取り合っている。そのためのメモらしい。仕事が心配でたまらないのだ。
Drにも「手術後、日が経つのに退院できないのが辛い」と訴えていた。
毎朝、平服に着替える気持、痛いほどわかるのだが、「神様が下さった休養だと思って、治療に専念しませんか」と、心の中で何度も話しかけた。
来室した体育会系とおぼしき麻酔科Drの説明。
「痛みだけでなく、手術中の状態を監視しながら、血圧等の変化に対処します。酸素と水分の補給も行い、手術中の石川さんの命を守ります。明日術場でお待ちします」。
良くわかりました。命預けます。
バスガイドのように、滑らかな放射線科Nrのオリエンテーション。
「ここが個室です。独房とも呼ばれます。でも心配はいりません。モニターカメラがついていますから。それに、ナースコールがあれば、直ちに伺いますから」。
大丈夫です。私、孤独に慣れていますから。
最終便で千歳空港から病室に直行してきた妻。
「アーラ、元気そうじゃない。ワッハッハ」。
当たりまえだ。生検の時とは思想が違う。
カバンの中の数冊の中から、柳田邦男著『死の医学への序章』を取り出す。 西川喜作という神経科医の2年7ヵ月わたる前立腺癌との死闘のドキュメントである。
数年前に妻が買い求め、私も一度読んだ本。
「癌患者が医師だからこそ、癌の諸問題に襟を正さなければならない」と、命の炎が消える日まで、末期医療への提言を続けた氏の壮絶ともいえる生き様に、もう一度触れてみたかった。
手術用着に着替え、再点検。
準備万端・・・?。アレッ、剃毛が済んでない。下腹部の手術には欠かせないはず・・・・。
「その必要ないと思うよ。期待していたのなら、残念だったわね。」、妻の言葉でNrコールは思い留まったが、とても気がかりだった。
気を取り直して、いざ出陣。
病棟Nrと妻が、手術室に続く廊下の自動ドアの前までお見送り。
「明日まで会えないのよ。がんばってね」と妻。
私が頑張るわけではないのにと思いつつも、点滴のない方の手でVサイン。
ドアが閉ったとたん、ストレッチャーが恐ろしい勢いで走り出す。流れる天井を眺めながら「ゆっくり走ろう、北海道」の交通安全標語を思い出して、おかしかった。
走ること5〜6分、広い手術室に着く。
視野の中だけでも10人程の陣容。予想外の人数に驚きながら、自力で麻酔用のベッドに移動。
突然、例の体育会系麻酔科Drのバカでかい声。「石川さーん、膝を抱えて下さーいッ」。コリャ、応援団出身だ。
「石川さーん、痛み止めの注射ですよーッ」。「石川さーん、ごめんなさーい。チクッとしますよーッ」。「石川さーん、大丈夫ですかーッ」。こんな調子で処置が進む。
「石川さーん、点滴が入りまーす。眠くなりますよーッ」の声と共に意識が途絶える。
「終わりました」、泌尿器科Dr落ち着いた呼びかけにトレッチャー上で目覚める。応援団員等はすでに居なかった。
「どうぞ、ごゆっくりお休み下さい」の声に送られて手術室を後に。
Nrさーん、患者の輸送も「ごゆっくり頼みますよーッ」。
「お疲れ様でした」と迎えてくれたのは、手際が良くて、よく気がつくベテランNr。言うことなし。
しばらくして、泌尿器科Drが来室。
手術は予定通り終了、尿の状態もきわめて良好のよし。 熱発や会陰部・尿路に痛みがあれば、遠慮なくNrコールすること等の指示をして退室。
Nrが用意してくれた夕食、美味かった。
ただ、寝たままで、お椀のスープを飲む方法が分らなかった(誰にも分るまい)。
食後、尿道に痛みが出始めたので、生検の時の経験から、早めに鎮痛剤を貰う。
その後、翌朝まで泥のように眠った。
さわやかな朝。
こんなにも簡単な手術でよかったのかとの思いもあるが、一仕事終えた安らぎに浸る。
予定時間に泌尿器科Nrのお迎え。
点滴と尿袋を提げたまま病棟へと凱旋。その途中で病室の移動を告げられた。移動先は東フロアーの6人部屋とのこと。
妻がすでに病室で待機、「ひとりで寂しかったでしょう。眠れたの」と冷やかす。
「熟睡できた。退院まで独房に居たかった」とやり返す。本心でもある。
さて、今度の戦友はと見ると、全員若い。昔からの同朋のように、屈託なく会話を楽しんでいる。居心地は悪くなさそう。
しばらくして、肛門と会陰部に痛みを覚える。
早速、Nコールして、早々に導尿管を抜いてもらう。
シードを挿入した前立腺が1.5〜2.0倍に腫れるので誰もが経験する苦痛だが、普通は鎮痛剤で容易に解消するらしい。
元来弱い部位のためか、鎮痛剤と座薬を貰うが効果なし。この苦痛だけは、退院まで続くことに。
病棟の消灯は21:00。宵っ張りの私には、眠りが訪れるまでの時間が辛い。
Nrコールを知らせる『エリーゼのために』が闇の中に微かに、しかし確実に病床に届く。病室が詰め所に近いからだ。
絶え間なく繰り返される『エリーゼのために』は、救いを求める魂の叫びのようで、ことさら私の眠りを妨げる。
この部屋からも何度かのコールがあり、周囲を気遣う押し殺した 会話や懐中電灯の光の輪、氷や医療器具を運ぶ音などが明け方まで続いた。
詰め所に近い病室には、それなりに意味があることを知る。そして、今度の戦友は詰め所に近い病室を必要とする人達だったのだ。
朝には、「おはよう。いい天気だよ」と、元気に挨拶してくれる人達なのに。
会陰部の痛みは少し薄らいだが、肛門は依然として改善の兆しなし。 入浴して体を温めることで、随分と楽になるはず。
だが、今日は入浴休止の日。
ダメ元で座浴を申し出ると、すぐに浴室の鍵が届き、思いがけない朝湯を楽しむことができた。
心優しいNrに感謝しつつ、これが「北海道がんセンター」最後の入浴となることを念じつつ、ゆっくり湯に浸る。
母には「良質な腫瘍だが、癌化を防ぐために入院する」と告げて来た。
それでも毎日、仏壇と神棚にお灯明を灯して、私の無事を祈り続けてくれているはず。
外出時に買った母への土産、扱いに困って宅配便に委ねる。当人より先に母の元に届くが、まぁいいか。
順調に推移した入院生活を終えて、晴れて(今回は)予定通り退院。
治療費は、食事も含め28万円と少々。うち保険外医療費は100円だけで、なぜか事前にDrから聞かされていた特別室料金の徴収はなかった。
病院を一歩出ると、そこには降り注ぐ陽光と色鮮やかな樹木の緑に満ち溢れていた。
これからも、この北海道の6月のような日々が続くことを願わずにいられない。
途中、千歳空港の心地よい喧噪のなかで昼食。
「せいぜいジョッキー1杯ですよ」、Drの忠告を思いだしながら、9日ぶりに飲むビールは格別にうまかった。
堪らず「すいませーん。もう一杯」。 |