05年
1月 21日
〜
26日 |
針生検実施のため入院 |
21日 入 院
主治医と麻酔科医から検査の説明、Nrからは看護方針の説明あり
抗生剤アレルギーテスト実施
食事・風呂等全て自由
22日 入院2日目
体重測定、体温・血圧測定、
以降は終日行動制限なし
23日 検査前日
検査本番に備えて入浴
夕食後は、食事制限となる
体温・血圧測定、下剤服用
24日 検査当日
朝から点滴開始
朝・昼共に食事なし
下剤・浣腸で腸を空にする
13:15 手術室へ
13:30 手術台上、横向きの姿勢で腰椎麻酔
太腿の麻酔の効き目を確認
上向きの姿勢になり、検体の採取を開始
器具音パチパチ聞こえるも感触なし
14:30 針生検終了
検査後は、麻酔の副作用防止のために
べッドから起きることを禁じられる
18:00 横になったままの夕食
21:00 強烈な尿意と便意に襲われ、苦痛を訴え
て、Nrから鎮痛剤を貰う。
21:30 オマルに多量の血便を排出
25日 検査翌日
正午、点滴終了・導尿管撤去
トイレの度に激痛を伴う血尿。
Drの話では、経過はよいとのことだが血尿・血 便治まらない。
26日 退 院
血尿はやや改善の兆しがあるも血便治まらず、座薬を貰って退院
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Dr、Nrの丁寧な対応に、札幌に来た甲斐があったと満足。
何度もNrが病室を訪れてくれるが、要望も心配事もない。今や、検査の無事終了を願うのみ。
暇をもてあまし、外出許可を願い出て、書店巡りをする。足が自然と、医療関係の書棚に向かう。
休日の病棟は、きわめて穏やか。手術前の患者にだけ認められる入浴を、一人ゆっくり楽しむ。
今日はさすがに、緊張感に襲われる。
稚内から駆けつけた妻の第一声が「ヤーダ、顔色悪いよ。びびってるの」。
手術室からスタンバイ・オーケーの連絡。
何故か、満面の笑みで「バイバイ」する妻に送られて手術室へ。
検査はまったく痛みが無く、意外に早く終了。
苦痛を訴える手記がけっこうあったが、これは麻酔手法の違いによるものか。
夕食は美味しかった。
しかし、麻酔が切れた後、切迫した排尿感(実際は導尿管で排尿している)と悪寒に悩まさる。
とても眠れるものではない。「こんな時にこそ側に居れ」と追い返した妻を恨む。
予想外の苦痛にイラつく。
早朝に来院したものの、同情の欠片も見せない妻に八つ当たり。
痛みに弱いと笑わば笑え、この薄情もの女が。
痛いものは"いたーい!"のだ。
痛みが残ったままの退院。
少々不安ではあるが、2〜3日中に治るとのことで、家路に着く。後は、神のみぞ知る結果待ち。
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2月
8日
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針生検の結果判明 |
「家族を同伴するように」とのDrの指示で妻と出札、外来で主治医から説明を受ける。
検査結果は
側葉3ヶ所から癌組織検出
悪性度は「中分化型」
グリーソン値 6
であった。
悪 性 度
高分化型 (おとなしいタイプの癌)
低分化型 (悪性度が高いタイプの癌)
中分化型 (その中間の癌)
に分類される。現状把握と予後対策の尺度 とする。低分化型が最も治療困難で、死亡 率も高い。
グリーソン値
2から10までの9段階で表される。
2・3・4は分化度「高」
5・6・7は分化度「中」
8・9・10は分化度「低」
値が高いほど悪性で死亡率も上がる。
次の段階として
・「癌がどのくらい進んでいるか」、他に「転移 がないか」を検査する
・検査は10日後の18日で、この結果を見て今後 の治療方針を決める
当院の治療方針としては
・PSA値・グリーソン値・年齢、全身状態を考慮 の上、患者の希望を尊重して治療方針を決定する
・転院やセカンドオピニオン(主治医以外のDrの 意見)を希望する場合には、診療情報の提供等 、協力は惜しまない
とのこと。
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誰かのホームページにこの瞬間を「最後の審判」と書いてあったことを思い出しつつ妻と診察室に入る。
Drの表情が暗い。またしても不吉な予感。
「残念ですが3カ所から癌組織が検出されました」とのこと。やはり予感は的中。
ここで慌てたら男じゃないと自分に言い聞かせて「そうでしたか---。詳しくお話し下さい」といったはず。
年齢相応の応対はできたろうが、頭の中は真っ白だった。「前立腺内に留まる初期段階ですから、完治可能です」とのDrの声に送られ、診察室を後にする。
「何でわたしが----」、無念の情がこみ上げる。
そんな折も折「あなた、焦ったでしょう。目が飛んでいたわよ」とは、なんたる言い草。励ますならば、それにふさわしい「物言い」があるだろうに。
「焦ってなんかいない。想定内の結果だ。俺に、焦る暇などない」と精いっぱい力む。
実際、職場では年度末を控えて、課題が山積。私にとって、最後となる市議会も目前に迫っている。
今、職業人としての生き様が問われているのだと思う。残り一月半ではあるが、日々の充実を期して、38年間の公務員生活を悔いなく終えたいものである。
結果は非情だったが、驚異的に正確なPSA検査と、これを勧めてくれた職員課に感謝するべきであろう。
完治可能な病期で、癌を発見できたのだから。
そして、理事者から打診あった再就職の件にも、迷わずに辞退する決意ができたのだから。
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